駅前デパート戦国時代
語り手:大江戸蔵三都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。
聞き手:豊島なぎさ都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。
鉄道と百貨店で発展
パリのモンパルナスのことは何となくわかりましたけど、どうして池袋が、そのモンパルナスみたいになったんですか?
何となくって何だよ。あれだけ熱弁したのに、何となくはないだろ。そもそも池袋っていうのはさ、明治時代ぐらいまではひなびた農村地帯だったんだよ。地名そのものは古くからあって、武蔵国豊島郡池袋村というのが古文書に見られるんだ。
そういえば、袋池っていう池があったから池袋になったって誰かに聞いたことがあるわ。
そういう説もあるね。地政学的には、池袋は湧水の多い湿地帯だったらしい。今メトロポリタンホテルがある辺りにあった丸池が弦巻川の源流になっていたらしいから、かなりの量の湧き水があったんじゃないかな。
池はわかるけど、じゃあ袋は何?
恐らく低地を表しているんじゃないかな。池の多い袋状の湿地ということだと思うよ。今の池袋からは想像もつかないけどね。弦巻川も暗渠(あんきょ)になっちゃったからね。
アンキョって何?
まったく何も知らないんだなぁ、キミは。暗渠っていうのは、大抵の場合、家庭排水なんかで汚れて悪臭を放つようになった川を地下に閉じこめて下水道化したものだ。その上を遊歩道や公園にしたりする場合が多いけど、渋谷のセンター街みたいに宇田川の上を完全に埋めちゃって痕跡を残さないケースもある。弦巻川は後者の方だな。
だから川がないのに宇田川町って言うのね。
まぁ、湧き水が豊富だったということからしても、かつての池袋はほとんどが農地だったと考えていいだろうね。でも、それが大正時代になって激変するんだな。
激変? 何か大きな施設ができたとか?
いや、相変わらず何もなかったんだけど、関東大震災で家を失った人たちがどんどん流れ込んで来るんだな。これは池袋に限ったことではなくて、西東京全般の話なんだけど。
農地が住宅地に変わったっていうことね。でも、その頃池袋に駅はなかったの? 駅がなかったら住むには不便じゃない?
もちろんあったよ。経緯を言えば明治18年(1885)に品川 赤羽を結ぶ品川線が開通するんだけど、その後、上野から田端 目白への豊島線が計画される。当初は、目白に駅を設置する予定だったんだけど、住民の反対もあって用地が確保できなかったから、やむをえず池袋に駅を設置することになったわけ。それで明治36年(1903)に豊島線の池袋 田端間が単線で開通すると、池袋信号所からの昇格で「池袋駅」が開業したというわけだ。
やむをえず開業した駅に今ではあれだけ人が集まるなんて、昔の人は想像できなかったでしょうね。でも品川線とか豊島線って、今の何線のこと?
その2つが一緒になったのが山手線だよ。その後、今の東武東上線の前身である東上鉄道や西武池袋線の前身、武蔵野鉄道なんかも乗り入れるんだけど、結局都心まで延伸しなかったから、池袋はあんまりパッとしなかった。
じゃあ、いつ頃から今みたいに賑やかになったの?
昭和8年(1933)に、今の西武百貨店の前身である菊屋デパートが開店して、市電が乗り入れた頃から繁華街っぽくなってくるんだ。
やっぱり繁華街にはデパートが欠かせないわよね。
この菊屋デパートっていうのがちょっと面白いんだけど、もともとは東急百貨店の前身である白木屋と、京浜急行が共同で作った京浜百貨店というのが母体なんだ。東急、京急って、今の池袋とは縁のない感じがするだろ。
そうね。池袋って言えば東口の西武と西口の東武だもんね。
菊屋デパートは昭和15年(1940)に武蔵野鉄道が買収、武蔵野デパートを経て昭和24年(1949)に西武百貨店と名前を変える。一方で東武百貨店が昭和37年(1962)に本店を開店すると、2年後には東横百貨店池袋店を買収して大型化する。これが今の池袋東武だ。そして、昭和33年(1958)に開店した関西系の東京丸物(まるぶつ)池袋店が1968年に西武百貨店に買収されて池袋パルコになったというわけ。
凄〜い。何かデパート戦国時代っていう感じ。
東京丸物(まるぶつ)池袋店は、村野藤吾が設計して、北側の壁面にモザイク彫刻(写真上)があったり「夢の階段」と呼ばれる大階段(写真下)のあるユニークな建築物だったんだけど、パルコに改装してからはそんな面影は無くなっちゃったね。
じゃあ、池袋モンパルナスっていうのは、池袋が賑わい始めた頃の話?
そう。菊屋デパートができて、繁華街らしくなってきた1930年代後半に、全盛期を迎えるんだ。