若き芸術家たちの夢と挫折

第3回 洋画家の“梁山泊”

語り手:大江戸蔵三
都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。

聞き手:豊島なぎさ
都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。

パリ帰りの子ブタちゃんたち?

若い芸術家たちが池袋に住み始めたのは、やっぱり鉄道やデパートができて、池袋が賑やかになったからなの?

もちろんそれもあるけど、もともと西東京、池袋周辺には新進気鋭の画家たちがたくさん住んでいたんだよ。まず「パリの豚児たち」。

えっ何? 豚児って子ブタのこと?


あはは。1回目で話したようにエコール・ド・パリの時代にはピカソやモディリアーニなんかと一緒に、世界中の画家達がパリに集まってきた。その中には藤田嗣治のような日本人もいた。どのくらいいたかって言うと、藤田の証言では第一次大戦前は20人程度だったのが、1920年代には最大で500人もの日本人がいたというんだな。その中に前田寛治(写真下)という20代後半の若者もいた。前田は、自分のパリ仲間、特に東京美術学校の卒業生達を「パリの豚児たち」って呼んだわけ。

仲間を子ブタ呼ばわりするのもどうかと思うけど…。


自分の奥さんをへりくだって言うときに「愚妻」って言うだろ。息子の場合は「愚息」。「豚児」というのは同じような意味で「馬鹿な子」っていう意味なんだ。要するに、親の金なんかでパリに留学して、実際は毎日自由奔放に遊び回っている生活を自嘲的に「豚児」って呼んだわけ。言い換えれば「パリのバカ息子たち」って言うことだな。

なるほどね。それでやっと意味がわかったわ。


「豚児たち」の実質的なリーダーは藤田嗣治だったけど、前田の他にも佐伯祐三、里見勝蔵、小島善太郎といった、後の日本洋画界を牽引するメンバーが揃っていた。で、彼らが帰国して始めたのが「1930年協会」現在の独立美術協会だ。これは二科会のような既存の権威団体と縁を切って、パリ仕込みの自由で新らしい画壇を作っていこうという試みだった。そしてこの協会の展覧会は日本の洋画界にフォービズムという嵐を巻き起こすんだ。

フォービズム? 何それ?



「野獣派」だよ。代表的な画家はマティス、ドラン、ヴラマンク、デュフィ、ルオーといったところだ。写実的なデッサンや色から解放されて、あくまで主観的に、心に感じたままのタッチや色彩を使う描き方をフォービズムというんだ。もう一方の大きな嵐がキュビズムなんだけどね。

あっ、それなら聞いたことある。ピカソの絵はキュビスムだって言うわよね。

そう。いろんな視点から見たものの形を、ひとつの形に再構成する方法。フォービズムにせよキュビズムにせよ、それまでの伝統的な写実主義や一点透視図法を根底から否定するものだったからね。今風に言えば、実にパンクなムーブメントだったわけだ。

パリ帰りの帰国子女達が「最新のアートはこれだぜ!」っていう主張をしたわけね。

そういうこと。でも、洋画壇の主流は相変わらずルネサンス以来の伝統的なものだったからね。当然、反発も多かった。そんな中で前田たち「パリの豚児たち」は、伝統的な技法に縛られずにそれぞれの個性を重視して、若い洋画家の支持を集めるんだな。

前田さんって、どんな絵を描いているの?


この裸婦(写真左)を見てもわかるように、基本的には写実を追求した作品が主流なんだけど、後年には荒々しい筆致や色彩で描いたフォービズム的作品も多い。

なるほど〜。他の絵も見てみたいわね。


彼のような描き方が一時流行して「前寛ばり」の絵だね、なんて評されるようになったんだけど、残念ながら33歳で病死してしまった。

天才は早死にするのね。



前田の同士だった天才・佐伯祐三も30歳で亡くなっているからね。この郵便配達夫の絵(写真下)、見たことあるだろ。

あるある。この人も長生きできなかったのかぁ〜。それに引き替え…。

なに人の顔見てんだよ。長生きして悪かったな。要するに、新進気鋭の洋画家たちは、まだ山の手に住めるような財力がなかったから、池袋周辺の新興都市に住んでいたわけ。当時、画壇の大家たちの多くが東京美術学校を始め、美術館、博物館が林立する上野周辺に住んでいた。パリに置き換えれば「上野の山」は「モンマルトルの丘」だ。それに対して低地の池袋は…。

モンパルナスっていうことね。だんだんわかってきたわ。


そんなわけで、池袋周辺は上野に通う画学生にとっても、家賃が安くて電車の便もいい場所だったから、地方からどんどん上京して来るようになった。そしてそんな池袋に、若い芸術家達をさらに呼び込む要素が加わるんだ。

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