若き芸術家たちの夢と挫折

闘う詩人・小熊秀雄〜その2

語り手:大江戸蔵三
都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。

聞き手:豊島なぎさ
都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。

焼かれた魚

というわけで、今回は小熊秀雄さんの「別の顔」ということなんですけど…。

詩人でも画家でもない小熊秀雄ね。ひとつは童話作家としての側面だ。小熊の童話として最も有名で、英訳もされている作品が『焼かれた魚』だ。一昔前に『およげ!たいやきくん』っていう子供向けの歌が大ヒットしたことはキミも知ってるよね。

テレビで聴いたことあるわ。500万枚売れたっていう伝説の大ヒットよね。

簡単に言えばあの“元ネタ”みたいな内容なんだ。皿の上の焼かれた秋刀魚が、もう一度海を見たいと願って、猫、ネズミ、犬、カラスの力を借りて海に向かう。でも、その度にお礼として自分の肉を食べさせるから、最後は頭と骨だけになってしまう。それでも親切なアリの協力で何とか海へ向かおうとする…。

へぇ〜、面白そう。読んでみたくなったわ。


青空文庫で公開されているから、読んでみるといいよ。短い話だからすぐに読める。これは小熊のファンでもある詩人のアーサー・ビナードさんによって英訳もされているんだ。

あ、あったあった。ホント、短いのね。今読んでみます。


キミが読んでいる間、もうひとつの有名な童話『或る手品師の話』も紹介しておこう。流れ者の老いた手品師が、人生に疲れ、ふと辿り着いた街でいつものように手品を始めようとするんだけど、道具を船に忘れてきたことに気がつく。種のない手品師を野次る観客に対して、手品師は橋の欄干に立って、ここから蝶になって舞い上がって見せると宣言し、そのまま落下して死ぬ。何とも救いのない話なんだけど、これが実に美しい。

ふたつともいま、読み終わったわ。何だかジ〜ンときちゃった。


本当は、小熊の最大の理解者で、俳優の寺田農さんの父でもある寺田政明の美しい挿絵と一緒に読んで欲しかったんだけど、残念ながら絶版になってる。ところで『焼かれた魚』のテーマって何だと思う?

う〜ん、自由になるためには、犠牲を払わなければいけないっていうことかな。

いいところを突いてるね。誰でも自由に生きるためには、それ相応の代償を払わなければならない。それは『焼かれた魚』の秋刀魚も『或る手品師の話』の手品師も同じ。秋刀魚は何もかも失って、最後に自由を得るけど、その時にはそれを感じる術(すべ)を失ってしまう。一方で、手品師は死ぬとわかっていても、最後まで手品師でいようとする。

どっちも悲惨な結末なんだけど、不思議と悲しくないのよね。


そうなんだ。秋刀魚は自分は魚であり、魚は海で泳ぎ回ってこそ魚なんだというプライドを捨てないし、手品師も手品師は観客を楽しませてこそ手品師だというプライドを捨てない。例えその後にどんな悲惨な結末が待っていてもね。

そういう生き方って、ちょっと憧れるなぁ。ワタシには無理そうだけど…。

そういう意味では、手品師の話はヘミングウェイの短編『敗れざる者(負けない男)』に通じるものがある。世間の決めたルールではなく、自分のルールに従って生きる男。例え死の目前になっても、決してルールを曲げない。

ワタシの場合『焼かれた魚』を読むと、何となく『幸福の王子』を思い出すなぁ。

オスカー・ワイルドね。あれは自己犠牲の話で、自我を通す秋刀魚や手品師とは対極にあるんだけど、どんどん身を削っていくビジュアル的な悲しさがあるよね。そういう意味で手法としては似ているかもね。でも、ワイルドのファンタジー性と比べると、小熊の作品は凄くリアルだよね。

確かにそうね。秋刀魚からしてそうだし、三毛猫とかどぶねずみとか痩せた犬とか烏とか、キャラが全然ファンタジーっぽくない。

見方を変えれば、猫が盗んだ魚の食べ残しがいろんな動物に無駄なく消費される、食物連鎖の話でもある。こういう、自然界の片隅にうごめく小さな生き物たちは、ワーキングプアである小熊自身の姿なのかもしれないね。

確かに、生きるために誰かに利用されるのは仕方ないことなんだっていう悲しさと、それでも自分の信念を曲げずに生きていけるならいいっていう諦めみたいなものが一緒になっているわね。

うん。そういう考え方は、小熊の生い立ちからきているのかもしれない。小熊というのは、実は若くして亡くなった母親の姓で、彼は徴兵検査の時に初めて自分が私生児であることを知り、養父の姓を捨てる。肉親のいない秀雄は15歳から肉体労働者として働き始め、職を転々とする。パルプ工場で働いていたときには、右手の指2本を失っているんだ。

うわ〜、若い頃から絵に描いたような不遇の人生なんだ。


24歳で結婚するんだけど、定職に就かずに詩人として生きようとしたから、貧乏のどん底で家賃が払えず、モンパルナスに居たときも5カ月毎に追い出されたらしい。自分は喘息だし、長男の焔(ほのお)も病弱だったんだけど、治療費すら満足に払えなかった。

えっ? 子供の名前が「焔」っていうの? ちょっとユニーク過ぎない?

その「焔」君は19歳で早世するんだけどね。「半生は満足するほど負けたから 残りの半生を満腹するほど勝ちたい」というのは小熊自身の言葉だ。小熊は39歳までしか生きられなかったから、その願いは叶わなかったけど、彼はたくさんの仲間に愛され、実に素晴らしい作品を残した。次回は小熊を取り巻く芸術家たちのことを話そう。

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