聖なる酔っぱらい・
長谷川利行〜その1
語り手:大江戸蔵三都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。
聞き手:豊島なぎさ都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。
日本のモディリアーニ
長〜い夏休み明けですけど、蔵三さんは夏バテしてませんか?
この暑さでバテない方がどうかしてるよ。今年の暑さは異常だな。昼間からビールでも飲まないとやってられんよ。
今回は小熊秀雄さんの交友関係について話すんじゃなかったんですか? ビールは話が終わってからにして下さいね。
交友関係って、人生に酒以上の友がいるか? わが胸の 鼓のひびき たうたらり たうたうたらり 酔へば楽しき。
それって誰の歌? まさか蔵三さんじゃないわよね。
吉井勇だよ。そんな歌が詠めたらこんな仕事やってないわい。そんなことより、今回のテーマは酒を浴びるように飲み、命を縮めながら珠玉の作品を残して、孤独のままに死んでいった画家の話だ。名前は長谷川利行。「としゆき」とも「りこう」とも読む。小熊の盟友であり、ケンカ相手でもあった。
ふ〜ん、聞いたことない名前だけど…。
キミが聞いたことがなくても、素晴らしい画家であることは間違いない。明治24年(1891)の京都生まれで、最初は文学志向だったけど、大正10年に上京してから、独学で絵を始めると、異常とも言える速筆で油絵を描くようになる。
異常ってどのくらい異常なの?
1時間から2時間ぐらいって言うからね。ほとんど水彩画感覚だよ。当然下絵も描かない。それでも決して稚拙でも破綻してもいないんだから、一種の天才肌だな。
へぇ〜。それで、小熊さんとはどんな経緯で知り合ったの?
長谷川は一時京都に帰っていたんだけど、大正15年に再上京して、前田寛治や里見勝蔵と知己を得る。その縁から、井上長三郎、靉光、麻生三郎、寺田政明といったモンパルナスの画家達と知り合って、小熊とも親しくなったようだね。
長谷川さんも池袋に住んでいたの?
いや、日暮里のお寺の離れを借りて住んでいた。だから、モンパルナスの住人ではない。二人が親交を深めるのはもっぱら酒の席だった。昭和9年、池袋西口に酒房「梯梧」が開店してからだ。貧乏だった彼らは、泡盛のある店がお好みだったようだね。
泡盛って、沖縄の焼酎でしょ? どうして泡盛なの?
アルコール度数が高い分、金をかけずに早く酔えるからさ。他にも泡盛が飲める「おもろ」なんて店にも出入りしていた。まぁ、店にとっては迷惑だったかもしれないけど…。
あら、どうして迷惑なの?
二人とも酒乱の気があったからね。口論、ケンカは日常茶飯事だったらしい。それでいていつまでも粘るからね。最悪の客だな。
あははは。新聞社にはよくいるタイプだわ。○○さんとか、○○キャップとか…。
小熊と長谷川に比べたら○○たちなんて可愛いもんだと思うよ。小熊は長谷川より10歳年下だったけど、閃きの鋭さといい、攻撃的な性格と言い、庶民派感覚といい、何より破滅型の人生といい、この二人は実に良く似ている。似ているからこそ衝突し、互いの飢えを満たしていたのかもしれないな。
なるほどねぇ。若くて才能があるのに、無名で貧乏だったら、どっかにはけ口を求めるかもね。
ほとんどアルコール依存症だった長谷川は別として、モンパルナスの住人たちは、昼間も「コティ」「セルパン」「紫薫荘」といったカフェで、コーヒー1杯で何時間も粘っていた。いつもお決まりの芸術論、政治論だ。
そういうところも、パリのモンパルナスみたいな感じなのね。
そんな中で、長谷川は二科展や一九三〇年協会展で受賞したりして、画家として着実に評価されていくんだけど、酒浸りの生活は荒れ放題で、浅草の貧民街を放浪し、わずかな酒代を得るためにキャラメル箱に絵を描いて小銭を稼いでいた。
それって、前に蔵三さんが話していたモディリアーニの映画みたいじゃない?
そうだね。モディリアーニの作品は生前全く評価されなくて、死後億単位の値が付くようになっただろ。長谷川の場合も、新たに発見された「カフェ・パウリスタ」という作品が、2009年にテレビの『なんでも鑑定団』で1800万円という値が付いた。まさに“日本のモディリアーニ”だね。