聖なる酔っぱらい・
長谷川利行〜その2
語り手:大江戸蔵三都内の某新聞社に勤める整理部記者。三度のメシより歴史が好きで、休日はいつも全国各地を史跡めぐり。そのためか貯金もなく、50歳を過ぎても独身。社内では「偏屈な変わり者」として冷遇されている。無類の酒好き。
聞き手:豊島なぎさ都内の某新聞社に勤める文化部の新米記者。あまり歴史好きではないのだが、郷土史を担当するハメに。内心ではエリートと呼ばれる経済部や政治部への異動を虎視眈々と狙っている。韓流ドラマが大好き。
今がいとほし
それにしても、どうして優れた芸術家って“破滅型”の人生を送るのかなぁ。
一言で言えば、バランスが取れていないからだよ。いつの世でも天才はアンバランスなんだ。過剰に表現したり過剰に研究したりしているうちに、精神と肉体のバランスを崩していく。その苦痛をアルコールや薬物で癒そうとしているうちに、過剰摂取で死に至る。ロックミュージシャンの定説として“27クラブ”っていうのがあるだろ。
“27クラブ”? 何それ?。
ストーンズのブライアン・ジョーンズ、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、ドアーズのジム・モリスン、ニルヴァーナのカート・コバーン。他にも伝説のブルースマン・ロバート・ジョンソンやバッド・フィンガーのピート・ハム、最近だとエイミー・ワインハウスなんかもそうだな。
ほとんど知らないけど、どういう共通点があるわけ?
みんな27歳で死んだ。殆どの死因が薬物の過剰摂取か自殺、他殺だ。
イヤねぇ。それって偶然なの?
27歳っていう歳が問題なのさ。大人になってしまう前に、燃え尽きて伝説になるわけだ。その点、本編の主人公・長谷川利行は、破滅型って言ったって49歳まで生きたからね。その分悪い意味での伝説を残した。
悪い意味での伝説って、何か凄そうな話ね。
彼の死後、彼を語る友人は少なかった。なぜなら、イヤと言うほど迷惑をかけられたからだ。酒代に困ると絵を送りつけて金をせびる、著名人の家に上がり込んでは絵を買ってくれるまで動かない。そんなことばかりやっているから、東郷青児を始めとした二科展のメンバーにも嫌われ、絵の評価が上がらない。評価が上がらないと絵も高く売れないから、また金をせびるようになる…。
うわ〜、負のルーチンにはまってしまったわけね。
特に40歳を過ぎてからは浮浪者同然の生活で、わずかな理解者に助けられて生活していたけど、昭和12年(1937)の二科展を最後に公募展への出展もしなくなり、その後泥酔してタクシーにはねられてからは、絵を描くことも止めてしまった。
それじゃもう生活していけないじゃない。
昭和15年(1940)に三河島の路上に倒れているところを発見されて施設に収容されるんだけど、すでに胃ガンが進行していて、本人も治療を拒否したから、5カ月ほどで亡くなった。
壮絶な人生ね。家族はいなかったの?
京都の親族と連絡を取っていたような形跡はないから、結局、誰にも知られずに死んでいった。所持品として残されていた貴重な作品やスケッチは、施設の規則によってすべて焼却されたから、残っていたのは遺骨だけ。
ああ、1800万円が…。どうして凄い才能があるのに、そんな人生を送ったのかなぁ。
利行は歌人でもあったから、こんな歌を残している。「人知れずくちも果つべき身一つの 今がいとほし涙拭わず」
人知れず死んでいくって、自分の人生を予言していたのね。
とにかく「今」が全ての人だったんだ。だから絵も短時間で「今」を捉えた。彼にとって表現とは時間をかけて計画的に進めるものではない。描きたいときに描きたいものを描く、それしかないんだ。
そうかぁ。だから「今がいとほし」なのね。
それができない時間、表現するものがない時間は、彼にとって底知れない“無”であり、耐え難い苦痛だったんじゃないかな。だから酒に溺れた。そして、そんな自分を呪いながらも、命が燃え尽きるまで血を吐くように描き続けた。
でも、最後の「涙拭わず」っていうのが泣かせるなぁ。
彼の盟友、小熊秀雄は、その頃漫画『火星探検』の原作を書いて、新たな作家としての道を歩み始めていた。大城のぼるが絵を描いたこの『火星探検』は、SF漫画の先駆として、手塚治虫、小松左京、筒井康隆、松本零士といった後進に大きな影響を与えることになる。
小熊さんだけは成功へのステップを踏んでいたのね。安心したわ。
ところが、そんな折、小熊は肺結核で命を落とす。享年39歳。長谷川が死んだのが昭和15年10月、小熊が同年11月。まるで示し合わせたかのような二人の死だった。
やっぱり悲しい結末だったのね。ちょっとショック。
名も無き芸術家の死など顧みる余裕もなく、日本は戦争へと突き進んでいった。翌年12月の真珠湾攻撃で太平洋戦争が開戦すると、モンパルナスの仲間たちも兵役に取られたり、疎開したりして、一人、また一人と櫛の歯が欠けるように減っていった。そして戦局は徐々に悪化し、ついには昭和19年4月の東京大空襲で、芸術家達の楽園、池袋モンパルナスも殆どが焦土と化してしまった。小熊も長谷川も、そんな結末を見ることなく死んでいった分、少しは幸せだったのかもしれないね。
<この続きは次回>